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新発田クラブについて
 新発田クラブの歴史
■ 新発田ロータリークラブと沼田ロータリークラブ友好クラブ締結の経緯
新発田ロータリークラブと沼田ロータリークラブ友好クラブ締結の経緯

平成29年4月19日
会員 小野寺眞夫

 1993年(平成5年)4月19日に、沼田ロータリークラブと友好クラブ締結して、2018年(平成30年)に25年を迎える事になります。
 その事を契機として、締結当時の状況を覚えている方もほとんどいなくなった現状を踏まえ、初回の締結をした幹事の私が生きている間に、その締結の経緯を書き残そうと思い筆を執った次第です。

  1. 新発田ロータリークラブ時系列の流れ

  1. 1992年(平成4年)7月13日 栗山ガバナー公式訪問
    卓話の中で、地区分割にふれ私の時にそのレールを引いておきたいと述べる。
  2. 1992年9月26日付け 栗山ガバナー文書
    近々地区分割が成される予定があり、新潟県と群馬県が分かれますが、群馬県側から友好クラブ締結希望クラブが複数あります。新潟県で希望するクラブがありましたら申し出てください。
  3. 1992年11月8日 柏崎ロータリークラブ40周年記念式典(樫内パストガバナー、小野寺幹事、村山良雄出席)
    記念式典終了後、栗山ガバナーから、沼田ロータリークラブの桑原会長、沢田幹事、金井分区代理を紹介され、沼田クラブとの友好クラブ締結を打診される。
  4. 1992年12月7日 第1例会
    沼田ロータリークラブのプロフィールを紹介し、同クラブとの友好クラブ締結の可否を会員全員に、アンケート調査を実施。ほとんどの方が賛成する。
  5. 1992年12月28日 理事役員会
    沼田ロータリークラブとの友好クラブ締結を正式に承認した。
  6. 1993年(平成5年)1月18日 第2例会
    ガバナー栗山清、群馬第1分区代理金井敬司、沼田ロータリークラブ会長桑原俊夫、沼田ロータリークラブ幹事沢田勝司、沼田ロータリークラブ理事角田芳夫、同片山晃一、新潟地区副幹事石田瑞穂、計7名来訪。
    例会後懇談会を開催、友好クラブ締結に向け前向きに意見交換する。
  7. 1993年3月2日 沼田ロータリークラブに表敬訪問
    新発田ロータリークラブ7名、新発田ローターアクトクラブ2名計9名
    例会後の懇談会は、沼田ロータリークラブからチャーターメンバー4名、理事役員他計25名出席。正式に友好クラブ締結に双方合意し、締結式は1993年4月19日、会場は新発田で行うことに決定。
  8. 1993年4月19日 友好クラブ締結式
    桜の花が満開の中、栗山ガバナー、樫内パストガバナー、杉浦分区代理、金井分区代理、新発田ロータリークラブ60名、沼田ロータリークラブ32名総勢96名の参加で盛大に調印式を挙行した。
    尚、調印式後の懇親会には近寅彦新発田市長が参加されたが、何と桑原沼田ロータリークラブ会長と新潟大学医学部で同級生だということが分かり、会が盛り上がった。

  1. 沼田ロータリークラブの時系列の流れ(沢田幹事の調印式での発表)

  1. 1992年(平成4年)11月8日 柏崎ロータリークラブ40周年記念式典時に、栗山ガバナーより新発田ロータリークラブとの友好クラブの話があり小野寺幹事を紹介された。
  2. 1992年12月1日 定時総会で桑原会長より新発田ロータリークラブとの友好クラブ締結を行いたいとの提案があった。
  3. 1993年(平成5年)1月18日 沼田ロータリークラブより5名で新発田ロータリークラブを訪問し友好クラブ締結に前向きに進めることを決定する。
    今後の日程等のことは、新発田ロータリー・沼田ロータリー両幹事に任せる。
  4. 1993年2月9日 クラブ協議会を開催し、新発田ロータリークラブとの友好クラブ締結を決定した。
  5. 1993年3月2日 新発田ロータリークラブ7名様が沼田ロータリークラブへ来訪
    例会後の懇談会で、1993年4月19日新発田ロータリークラブの例会に沼田ロータリークラブが出席し調印式を行うことで双方了解した。
  6. 1993年4月19日 友好クラブ調印式。ここに至るまで小野寺幹事と15回程度文章のやり取りをした。

  1. 新発田ロータリークラブと沼田ロータリークラブ友好クラブ締結に関し、何故新潟県は新発田ロータリークラブで群馬県は沼田ロータリークラブだったのか?

 栗山ガバナーは、1992年7月から1993年6月年度において2つの課題を掲げて出発した。1つ目は、地区分割を前提とした新潟・群馬間の友好クラブの締結、2つ目はクラブ拡大であった。

1つ目に関しては
  1. 共通点が多数有った
    お互い城下町で有ること、人口が約10万人弱同士で市の規模が似ている、クラブの歴史が同じくらいの長さ(RIの認証は、新発田ロータリーが1957年5月3日、沼田ロータリークラブが1958年12月21日)、クラブの品性が両クラブとも良い等々。
  2. 栗山ガバナーの人間関係(ここからは小野寺の私見です)
    栗山ガバナー年度の群馬県側の分区代理は金井敬司氏でクラブ拡大等で意気投合していて、所属が沼田ロータリークラブであった。
    また、新発田ロータリークラブの幹事は私小野寺で、栗山ガバナーが社長をしている栗山米菓が新発田食品団地協同組合の組合員であり、当時の理事長であった私の父とは旧知の間柄であり、当組合の顧問税理士であった私とも顔見知りであった。
    従って、双方とも声をかけやすかった。
    意外とそんな単純な理由だったのかもしれない。

2つ目に関しては(ここからは蛇足です)
  1.  クラブ拡大この事に関しては、栗山ガバナーは当初から、中条地区か新発田地区から最低1つ新設クラブを造るとの固い決意があったように思う。
  2.  出発点は、1993年1月20日に開催された、新設クラブに関する拡大意見交換会総勢25名出席。(栗山ガバナー、樫内パストガバナー、大屋敷地区副幹事杉浦分区代理、新発田クラブ、城南クラブ、中条クラブそれぞれの会長、幹事及び拡大委員)
  3.  栗山ガバナーから、6月30日までに新発田地区で新設クラブを造るよう強い要請があり、新発田クラブは過去に4クラブスポンサーしているので、スポンサーの経験のない城南クラブがスポンサーをすることに決定。
  4.  中条地区は、栗山年度中は無理だけど、次年度必ずやると約束させられた。
  5.  1993年2月22日、第1回新クラブ設立会議を、城南ロータリークラブと開催。新発田ロータリークラブも全面的に協力する約束をし、当クラブから小林禎吉氏、相馬義雄氏、渋谷弘氏、松田恒夫氏、豊島元氏を派遣することに決定。
  6.  特別代表に新発田城南ロータリークラブ岸十三氏が就任
  7.  クラブ名 新発田中央ロータリークラブ(当初は新発田北ロータリークラブだった)
  8.  スケジュールは
    1993年3月27日 第1回結成グループ会議(新クラブ入会予定者の小竹文雄氏、宮崎吉平氏、遠藤利行氏、岸博孝氏、小林一義氏、斉藤齋氏、吉井悦子氏、城南、新発田両クラブの会長(城南小島、新発田渡邊)及び幹事(城南桑原、新発田小野寺)、新発田ロータリー拡大委員会長の小林禎吉氏計12名出席)
    1993年4月12日 第2回結成グループ会議
    1993年4月27日 第1回仮ロータリークラブ例会
    1993年5月11日 第2階仮ロータリークラブ例会
    1993年5月18日 創立総会
    この2つの成功は、栗山清ガバナーの強力なリーダーシップのなせる技だったと言えよう。

    この2つの大きな歴史的事実に立ち会わせていただいたことは、私のロータリー人生にとってこの上ない喜びです
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2023-24年度国際ロータリーのテーマ


 国際ロータリー(RI)のテーマとは、RI会長から、毎年発表されるロータリー・メッセージのことです。このテーマは、ロータリー年度を通じて、奉仕の実践に最も重要なものです。
 テーマは、会長の抱負を端的に物語るとともに、そのロータリー年度の進路を示すものでもあります。